気ままにおしゃべり

ミニエッセイ

1995/1/17

「阪神・淡路大震災」

新聞の一面に載っていた
20年前になる
この日何をしていただろうか?
なかなか思い出せない

高架の高速道路が横倒し
途切れた所にバスが半分ぶら下がり状態
神戸の海辺が大火事
そんな状況を思い出す
(それらはTVや新聞の情報からだった)
死者も6000人を超えていた

2011/3/11
「東北大震災」
東京も大きく揺れた
鮮明に覚えている
4年前と言う事もある
20年後はちゃんと記憶があるだろうか
(自分が生きている確率は低い)

F.B.で仙台の知り合いの貴重な記事を発見
(無断でアップする事にした)

昨夜は、カウンターに隣合わせで座った方達と
20年前の今日の話をしました
あの日から20年経とうとしていると云うことで
各々がどういった経験や記憶があるかについて等々です

すると、自然に4年前の話にもなる訳で

Mくんとあたしは仕事が同じだったこともあり、
取った行動はほぼほぼ同じだったよねと云う話になりました
避難訓練は侮れない
それがあの日よくよく解ったことの一つでもあります

あの日
自分はかなり 冷静な判断で行動していたと思います
この点に一番影響を及ぼしたのは、
なんと言っても神戸のToshiちゃんから阪神淡路の経験を
何度か話して貰っていたからに他なりません

ああいった状況下で人はどういう行動に出るのか?
幾つかのパターンを教えて貰っていました
マスコミやそれ以外にも
心ない行いに気付かない色んな人達について、
その目がとらえたことを沢山教えてくれていたのです

避難誘導が一段落して、
自分達がやっと青葉通りに避難した直後、
混乱する通信網の中奇跡的に着信音が鳴りました!
それがToshiちゃんだと判った瞬間、
急に何かがぐらりと揺らいで涙が溢れだしました!
何故あのタイミングで
Toshiちゃんからの電話だけが繋がったのか?
この偶然とも必然とも受け取れる印象は
この先も忘れることはないでしょう。

どこもかしこも混乱してしまっていたあの時に、
避難所をかってでてくれたモンド・ボンゴやマーべリック
どうしたものかと先が見えなく、
心細かった時に何度も支えてくれた三河の親友たち

震災の被害はとても辛いものです
けれども、
人として何が大切であるのかを
教えてくれたことも事実です

阪神淡路大震災により
尊い命を失われた方々のご冥福を
こころよりお祈り申し上げます


”風化”と言う言葉がある
自然と記憶から離れて行く
風化させては行けない事もある

”風化させない”
個人の意識
国(行政)の意識
マスメディアの意識

再確認が必要だ
もうすぐ2015.3.11と3.12になる

2014.12.31〜2015.1.1
今年もマンハッタン/阿佐ヶ谷で年越し
わずか一日の違いに何かあるだろうか
それでも
”おめでとう”
と言う気持ちになる

1995/1/16と1/17
2011/3/10と3/11
僅か1日の違いだが違いが大きすぎる!

関連記事
  1. 2015/01/18(日) 12:24:38|
  2. 社会の窓
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