気ままにおしゃべり

ミニエッセイ

<今を生きる誰かへ>

「序」

「今度の”ジンク”に行きたいと言っている方がいます」
「お会いした事ない方です」
「大昔”コージさん”と一緒に仕事していたとの事です」
「ミュージシャンではなくPAのお仕事みたいです」
(誰だろう?)
「ブログをみて私たちの事を知ったみたいです」
「”モンドリアン”のお話してあげて下さい」
「喜ぶと思いますよ」

クラチからメールが着た

”コージさん”は森山浩二
”パピプなコーチャン”
というタイトルで思い出をブログに書いた

”モンドリアン”を知らないと言う
自分も知らない頃の付き合いのようだ
(誰だろう?どんな人だろう?)
”ジンク”でお会いするのが楽しみだ!
ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー
〜8/15:ブログより〜

8/15は”お盆”で”終戦記念日”
お盆休みで道はガラ空き
突然渋滞にはまった
”靖国神社”前だった
(こんなに参拝者が多いんだ!)
街宣車も目立つ
多くの警察官と機動隊員
その先にかなり大勢の”デモ”が道を横切る
機動隊のクルマが道を封鎖
そのための渋滞だった
回り道をさせられた
再びガラ空きに戻った

「客席」
お盆休みでもクラチファンがご来店
アリガタイ!

20150818002456.jpg

「珍客」
ブログにVo森山浩二”の事を書いた
それを読んだお客さんがご来店
「コーチャンとはいつ頃のお付き合いですか?」
「コーチャンがナベプロに入る前ですね」
おそらく40年以上前だろう
「その後のコーチャンが気になってネットで探しました」
「そしてあなたのブログにたどり着いたんです」
「恵比寿のお店の話を読みました」
「転職した会社が恵比寿でした」
「今思えば残念です!」
デビューの時のドーナツ盤を聴かせていただいた
「こんな事もやらされていたんですね」
コーチャンの描いた絵がある
コレもブログに載せた
「コピーして額に入れて飾ってあります」

お盆の夜
コーチャンが聞いたら喜こぶに違いない!

ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー 

当日の写真と映像を送って頂いた
アリガタイ!

その後1通のメールを頂いた

『お蔭様で、今回のLiveにお邪魔できた事で、
長い間刺さっていた心の棘が少しだけ緩んだ様な気がします。
倉地様からお聞き及びになっていらっしゃる事とは思いますが、
森山浩二氏に関して「書き留めていた文章」の筆も一区切り、
ひとまずは休筆できるのではないかと思える気がしてきました。』

書類が添付されていた
これが「書き留めていた文章」だった

読ませていただいた
森山浩二に対する”熱く深い”想いが書かれていた
自分が知らない当時の状況がある
また音響という立場からの話がオモシロい!

「観てくれる人は少ないですがブログで紹介していいですか?」
「興味持ってくれる方はいると思います!」

<津村くんの置き土産>に繋がる!

最近亡くなった”橋本麻理子”
闘病中の”辛島文夫”のエールにもなる!

OKの返事を頂いた!

作者:丸橋憲夫
ブログタイトル
<今生きる誰かへ>
(丸橋氏の文章からの引用)

注1.
多くの名前(芸名)が登場する
敬称略で紹介

注2.
文章は丸橋氏の原文のまま掲載
レイアウトはブログ用に若干の修正あり

注3.
かなりの長編
何回かに分けてアップする事にした

山崎弘一



JAZZとの出逢い・・・そして、森山浩二へ

丸橋憲夫 


私とJAZZ との出逢いは随分と昔の事となる。
はや45年を越えたであろうか?

当時を知る人の中には懐かしい想いが過ぎると思うが、
赤坂にあった「ミカド」で舞台音響のスタッフとして働き始めた頃、
緞帳が降りると共に脱兎のごとくタイムカードを押して
赤坂見附駅で地下鉄に飛び乗り新宿駅に向かう。
午前0時丁度に到着、
これまた息を切らせながら西武新宿駅に向かうも
0時7分発の最終電車には間に合わず階段下で発車を見送り、
やむなく歌舞伎町での1夜を明かす事となる。
これを2~3回試みたものの、
私の足では人ごみを掻き分けての7分で終電に飛び込むことは
不可能であると思い知る事となった。
以来毎夜、
始発電車までを過ごす1夜の宿として選んだのが
丁度JAZZ に目覚めた頃の自分とファンには名の知れた
「JAZZ喫茶・ヴィレッジ・ゲート」
であった。   

当時はベトナム戦争の最中(さなか)でもあり
休暇の黒人米兵などが出入りし、
若い自分にとってはワクワクする異空間。
JAZZのリズムと共に未知の新鮮な刺激が、
青く若い心を大いに躍らせてくれた事が今でも鮮明に蘇る。

今で言う風営法の規制で居眠りでもしようものなら、
すぐに店のスタッフが飛んで来て、
たたき起こされイヤでも大音量の音波(おとなみ)を耳の奥から
体中に流し込まれてコーヒーの苦味と共に
全身に染み渡らせる事となったのである。
そんな事情からミカド閉店までの1年と少しの間、
毎夜JAZZ漬けの日々が続き体の隅々、
細胞の一粒、一粒にまで
JAZZの種子・遺伝子を植え込まれたのであった。

これが私のジャズ原点であり、
今では時効であろう草の煙の香り
(残念???ながら、私には合わず)
を知ったのも、
ここヴィレッジ・ゲートである。

振り返って見ればその位、
当時の歌舞伎町には若い心を引き付ける魅力があり、
夢と希望そして自由のあふれた街でもあった。
仮に、当時の自分が「JAZZ」に全く関心の無い若造であったなら、
山のように溢れた数々の誘惑の中から一体どんな道筋を選び、
今を歩んでいたのであろうか? 

「JAZZ喫茶・ヴィレッジ・ゲート」は、
人生の道筋を決めた分水嶺でもある。
いまこの瞬間「JAZZ」を選択した当時の自分に
間違いがなかったと強く思える。 
よって、
あの頃の若い自分を褒めてやる事としよう。



ミカド閉店後

銀座・並木通り沿いの
ビルにオープンした「ミニクラブ」の
音響・照明スタッフとしての職を得、
10畳程の小さなステージを1人で管理しながら、
いわゆる「箱バンド」のメンバーと共に
その後の本格的なPA会社に転職するまでの
約1年半をすごす事となった。

この店のオーナー氏は
当時としては相当ブッ飛んだ(?)人だったらしく

fjimage001.jpg
寺山修二のアングラ劇団「天井桟敷」

itsmage002.jpg
人形劇の「辻村ジュサブロウ」

などの時代を牽引する新進気鋭の
ゲストたちが招かれたが、
美女と美酒が目当ての銀座紳士諸氏の眼には
いったいどう写っていたのであろうか?  
(注:写真は当時のモノ)
      
当然のことながらバンドメンバーの
レベルにも高いものが求められていた。

小さなステージではあったが、
ゴキゲンなミュージシャンが集っていたせいか、
他店のミュージシャン達が
空き時間を見ては遊びに訪れ、
「尾崎紀世彦」
などもたびたび顔をだしては、
裏階段の踊り場で
手のひら1杯の白タブを生ウイスキーで煽りながらも
大いに客席を唸らせていた。

また、
『ざんげの値打ちもない』
の大ヒット (1970年) で数々の賞を獲得して
衝撃のデビューを飾り
『石狩挽歌』
で盤石の地位を築いた演歌歌手
「北原ミレイ」
はこの時、
このステージからの船出である。

(いま、生で聴いてみたい曲がある。・・・「春」。)

そのバンドメンバーの中に小柄でヒゲ面、
丸い縁付きの毛糸帽子をかぶり
黄色のレイバン・グラスをかけて絶妙なタップを踏み、
コンガを叩きながらキャンプ仕込の英語で唄うジャズシンガーがいた。

1944年1月22日生まれなので、
丁度4歳年上(私1948,1,16生)で、
当時の彼は24歳から25歳に掛けての頃であったろう。

そんな彼の唄心が、
私の体の芯の奥深くの琴線に触れ全身に染み入り
それ以来ずっと忘れる事の出来ない人となってしまったのである。

これが『ジャズシンガー 森山浩二』と私との出逢いである。

その後、

本格的なPAミキサーを目指し
「(株)タチバナ音響研究所」
に入社。
当時、飛ぶ鳥を落とす勢いであった
「渡辺プロダクション・通称なべプロ」
所属の「布施明」「森進一」
の舞台音響スタッフをはじめ

「越路吹雪」「美空ひばり」「天地真理」「アンルイス」「ドリフターズ」
「沢田研二」「テレサテン」「ヒデとロザンナ」「トワエモア」「木の実ナナ」
「小柳ルミ子」「森山良子」「アグネスチャン」「植田芳暁」「矢野顕子」
「ムーンライダーズ」「本田美奈子」「大田博美」「ダ・カーポ」「金沢明子」

などなど、他にも数々のアーティスト達の名前と顔が思い浮かぶと共に、
助っ人スタッフの一員とは言え

「Queen」「Eric Clapton」「Michal Jackson」

など世界的なビック・アーティストのステージにも関わる事が出来た事、
その一つ一つが自分にとっての最高位の勲章の数々である。

★ …が、この頃、
森山浩二も「なべプロ」に所属して
活躍していた事を当時は知る由もなかった。

ビジネスとは言え、
事務所の方針でJAZZとは少し逸れた路線だったのが強く惜しまれる。
 
彼が表舞台を去ってしまった理由。
(もし、許されるものであるなら、
自身もジャズベーシストであった
「故・渡辺晋氏」
の功罪を敢えて問いたい。)

しかもその後、
自社の事務所を構えていた近くの恵比寿
「モンドリアン(オーナー・三崎ともやす)
での月1ライブ」が開かれていたなどとは・・・。
今となっては全く言葉が見つからない。
 
無念!
  
(★この項、後日追記で挿入)


諸先輩方の
暖かくも厳しいご指導のおかげで独立させて頂き、
自身のPA会社
(株)ジャパン・オーディオ・ラボラトリー
(通称:JAL SOUND)を設立。

程なく「ホリプロダクション」との契約のチャンスに恵まれ
「和田アキ子」「山口百恵」「石川さゆり」「榊原郁恵」
などの代表的なタレントを担当させてもらっていたが、
直接担当していた「山口百恵」が結婚を機に引退が決まった時
(武道館の白いMICは私の手による)
日本中を飛び回る事に体力の限界を感じ始めていたことも相まって
現場からの引退を決め、制作会社として主に
「○設省(現:国○交○省)」
などのイベント関連の制作業務の一翼を生業としたが、
相変わらず会社の切り盛りと出張の日々をこなすのに精一杯、

同時にライフワークとしての草の根NGO
「リボンプロジェクトジャパン」
を主宰していた事から
「香港 ⇒ 北京」までの中国大陸3800Kmを駆け抜け、
東南アジアの国々の熱帯ジャングルを4輪駆動車で
駆け巡ったりもしていた。

到 着! 
mrimage003.jpg            
天安門広場 
 
Ms Marina Mahathir
mrimage004.jpg
マレーシア首相令嬢

タイ北部・国道
mrimage005.jpg
麻薬検問所

日本人有志のプレゼント
mrimage006.jpg
ミャンマー国境近(タイ)
 
また、
丁度その頃に重なった自宅引越しの際には
奥方(当時)の猛反対を受け、
大金を投じた自慢のオーディオ設備
(アオイスタジオの閉鎖に伴い譲り受けたスタジオモニター
「ALTEC 604E」森山浩二のレコーディングに際しても使用されたかも?)
と、自慢の自作の真空管アンプなどの機材一式や
数百枚に及ぶLPレコードを泣く泣く手放なした事などが重り
ジャズを愉しむ心の余裕のない長い時を過ごしてきてしまっていた。

「宝物」! 文字通り現役最後の仕事
mrimage007.jpg       
当時の目黒・五本木、彼女宅でPM22:30頃

ALTEC 604Eスタジオモニター                           
mrimage008.jpg         
引っ越し前の我が家リビング

その後、

お決まりの紆余曲折の歳月を経ての57歳の誕生日を迎えてすぐに、
これまで積み重ねた数々の悪行の祟りでもあろうか、
大病が発覚。
「悪性リンパ腫・4期」。 
・・・ 6ケ月位かも? 、と・・・暗っ黒。

長期の入院生活となり、三途の河を渡りかけたりもしたが、
この時ばかりは「生来の根性なし」が幸いしたのか、
あまりの水の冷たさに渡りきることが出来ず、
さっさと逃げ戻ってきた。

そんな折

系列の本院に「本田美奈子」が緊急入院、
闘病むなしく旅立ってしまった。
小柄で華奢な身体にも関わらず元気あふれた彼女の事だから
、必ず復帰するものと信じていたのだが・・・。     
若い生命が先に逝く。
明日の自分が重なっても見えた。                

主治医の先生達と沢山の看護師そして、
こんな私を気遣ってくれる仲間からの
目いっぱいの支えを得て、ようやくの1年後に
退院に漕ぎつける事ができたが、
障害が残り車椅子生活となってしまった。

何故、生かされた?   
神は、俺に何をさせようというのか?
答えは、・・・まだ、ない。

が、この最大の危機が残りの人生を180°替える転機となると共に、
ジャズの世界に立ち戻る大きなキッカケを作ってくれたのである。

退院後

朝から暗くなるまでたったひとり窓辺に座り、
再発の恐怖と明日の見えぬ不安や焦燥感に耐え切れず、
流れる雲や風、
鳥や植物達の葉の1枚1枚、
サボテンの棘の一本一本へと返事の貰えぬ会話を挑み続け、
「目覚めの来ない朝を迎える恐怖」
に怯えての眠れぬ夜を積み重ねる事、3年。

すっかり疲れ切り空っぽになった心の奥底で、
細胞の隅っこに埋め込まれていた遺伝子たちが
ザワザワと目覚め始めた。
そこから「J 」のカケラが泡立ち、
日を追うごとにどんどんと大きく膨らんできたのである。


突然に浮上した「森山浩二」の顔

あまりの突然の出来事に驚く自分自身を押し退け、
堰を切った様に次々と目の前に浮かび上がってくる沢山の
ジャズマン達の顔、顔、顔・・・、
そして2ビートのリズムと細切れの小節、曲名、ジャケット写真・・・

小さな頭の中のどこに、こんなに沢山入っていたのかと思わせる程に
次から次へと切れ切れの断片が湧き上がり、
それぞれの端が繋り、
形づくられすっかり忘れ去っていたJAZZの姿が
次第に浮かび上ってきて、
やがてハッキリとした極彩色を伴って蘇った。

気が付けば、
まるで何かに取り憑かれた様に、
失った記憶を取り戻す為の作業、
CDを買い漁る日々となっていた。

これが
「前を見据えての一歩」
を踏み出した瞬間でもある。

そんなある日、
ヤフオク画面の中に森山浩二のLPレコード
「Night and Day」
を見つけて歓喜!  
当然、速落!

今となっては懐かしいLPレコードに針を落とした瞬間、
長らく眠っていたスピーカーから溢れ出してきた豊かで心地良く、
変幻自在でありながらも極上の唄声は、
長い時を一瞬にして飛び超え、
大きな引き波となってあの頃の自分に連れ戻してくれていた。

彼の軽妙でありながらも
情感豊かで底の知れぬ奥深さを感じさせる唄の心根は
あっという間に長く深い闇を消し去り、
まるで彼が目の前に居るような錯覚の世界へと
導いてくれたのである。

ikmmage009.jpg kmimage010.jpg kmimage011.jpg kmimage012.jpg

思えば四十数年前、
銀座の小さなステージで過ごした1年半余りの日々、
世界最高の唄い手を目の前に独り占めし、
奇しくも若くして人生最大で最良の贅沢を極めていた事となるのだが・・・。  
今思えば、何故1曲も録音が残っていないのか?
写真すらない。
おおいに悔やまれる。

元気な内に、彼にもう一度会いたい。
(‘09)

退院後、

5年50%の節目を折り返し、
よぉーし!
これからもう一丁!  
の時、

新たなる病が発覚。 

再発ではなく別種で、今回は手術が出来た。
これは、大いなる救いか? ・・・・・・   
終焉への始まりか?
   
オマケで心臓にも問題が見つかる。              
だが、今の俺には「ジャズ」がある。

我が人生の「みちしるべ」。 
人生の節目で彷徨う足元。 
ヒョイと踏み出す1歩をくれたジャズ。
  
「森山浩二」と「ジャズ」に乾杯! 
(オッと、下戸だった。)

闘病中の折れた心に大いなる勇気と闘う力をくれた
「Delta Goodrem 」 *1
delimage013.jpg

Born to Try !
今ここに、女神への感謝を捧げる。     
而今、生きねば。

「森山浩二」
願わくば余炎が尽きる前、
彼にもう一度会いたい。

古今集に
「唄には 鬼神も納受ある。」
と、ある。

「荒々しい鬼神も唄の力によって感動して
人の願いを聞き入れてくれる。」
・・・らしい。

だが、
残念ながら私には唄心がない。 
史上最悪の音痴である事を今、
白状しなければならない。

神よ! 
   
(’12)

引退後はハワイで余生を過ごしているらしい。
と、web上でつぶやいている人が居たのだが・・・
元気なのか、会いたい!    

***********************************

2013年10月29日。  
今日、パソコン画面の中に最悪のニュースを見た。

彼がハワイで亡くなっていたらしい。
しかも・・・癌だそうだ。 

なぜだか、
自身最初の告知を受けた時を
数倍上回る「あの瞬間」がよぎって
血の気が引き、全身から力が抜けて座り込んでいた。

2012年頃か?  
詳細が知りたい。

彼がハワイに移る前、
江戸川区の船堀に住んでいたそうだ。

ん、船堀! 
隣じゃないか。
ここから荒川土手沿いに車で10分。
船堀の1つ先の町には知り合いがいて
よく通っていた。

何ていう事だ。 
人生で2度もすれ違うとは。
もしかしたら、
すぐ横を通りすぎていたかもしれないのだ。

無情なり!

彼の生きた証の全てを知りたい!  
私の知らない
「森山浩二の歩んだ道程(みち)」
を教えてくれる人と巡り合えるチャンスを強く願う。

あっちで、本人から聞く事になるのかなぁ-?
まあ、それほど遠い話でもなさそうだが。   

合掌!

***********************************

「森山浩二」・・・そして、「三崎ともやす」へ!

「モンドリアン・三崎ともやす」*2 
の CDが手に入った。

何だ、これは!
突然、頭を大槌で打ちのめされた。

すごい! 
心臓をわしづかみにされ、
ギューと絞られた感じに襲われてそのまま固まってしまっていた。
こんなに素晴らしい日本人ギタリストが居たとは!

三崎を知る人には「何をいまさら!」と怒られるだろうが、
ギターには縁の薄かった自分。
恥ずかしながらギターといえば
「サンタナ」
位の認識しかなかった。

そんな貧弱なイメージを、
根底から覆されて心が震え、
寒気に襲われた。 

しかも、その唄声からは唄い方や声質、唄心・魂、どれをとっても森山浩二を思わせる。
いや、森山浩二そのものと言ったら言い過ぎであろうか。

こんなことを言うと三崎だけでなく、何より三崎が大好きなたくさんのファンに怒られるかもしれないが、…。 
向こうへ行ったら存分に叱られる事としよう。

そのくらい、三崎の唄声には森山浩二がオーバーラップする。
しかも、
それがピッタリとはまっていて、
何より「同じ匂い」に満ち溢れる。

mimage014.jpg mmmage015.jpg mimage016.jpg mimage017.jpg

おそらくは、空っぽの時を過ごした3年の間に、
「仕事の音」
と向き合ってきた
「仕事耳フィルター」
を洗い流すことが出来て、
音楽を純粋に心で聴く、
自然体に戻れていたのかもしれない。

「目からウロコ」とは、
まさにこのことであろう。

声質でもない。
楽音がくおんでもない。
ましてやテクニックでもない。
「音楽」とは、
「楽」も「苦」も「喜」も「悲」も、
そして「痛」すらの、
全てがドロドロに溶け合って発酵浄化し、
心の奥底から湧き上がる
「まさに魂の叫び」
を楽しむものなのだ。

思えば「JAZZ」とは「魂のさけび」である。
今更ながらに、
強く思い起された1枚となった。     

感謝! (’15)

追補。
*1  
「Delta Goodrem」
オーストラリア最大の歌姫、
シドニー出身。
‘02年23歳の時、
デビューシングル「ボーン・トゥ・トライ」
がチヤート1位を獲得!

アルバムからも5曲のNo.1シングルを輩出して
人口1800万人のオーストラリア国内だけで
100万枚を超えるモンスターアルバムとなり、
アルバムチャートでは通算29週間1位の新記録を樹立。
オーストラリア史上最大の歌姫となる。
そんなキャリア絶好調の中で突然、
「悪性リンパ腫」
の宣告を受け闘病生活へ。

翌年、
病を克服してセカンドアルバムを発表。
見事1位を獲得して復活し、
‘06年、
日本でも待望のファーストアルバムとして発売された。
「病からの復活」と「生命漲るその歌声」は、
諦め掛けていた自分を大いに勇気づけ、
闘う力を与えてくれた。  

以来、パワーソングとなる。

*2 
「三崎ともやす」
1946年、横浜生まれ。
森山良子、小室等、マイク真木らと共に
数々のコンサートに出演。

1967年に初来日した
「ジョーン・バエズ」
の新宿厚生年金のステージに日本人として
当時「日本のジョーン・バエズ」
と言われた森山良子と共に立つ。

ハマフォークジャンボリーを創設するなど
日本のフォークソングの一時代を築く。

‘85年、
フランクシナトラの目にとまり直接の激励を受けて
「シナトラファミリー」
の1員として正式に認められる。

生涯、
「ライブ」に強くこだわってきた為に、
発売されたCDは数少ない。

「森山浩二」が野山を縦横無尽に駆け巡る
「山鹿」
であるならば、
「三崎ともやす」
は岩場の王者、
「熊」
であろうか?  
そんな姿が目に浮かんだ。

You Tubeで三崎に逢えた。 
以外にも、
とても優しそうだった。  
だが、
メガネの奥の瞳は強い光を放っている。
やっぱり、熊だ。

‘04年に、
癌の告知を受けるも病床生活を拒み、
それまで通りの音楽生活を続けて復帰の思いが叶わないまま、‘
08年10月13日、
その生涯の幕を降ろす。

「病を、あるがままに受け入れる。」

人間としての生き方、
音楽への強い想いがヒシヒシと伝わってくる。

おそらくは一日、一日、
日々悔いのない生き方と音楽に対する強い情熱と信念を貫くも、
決して気張ることなく
“「さらり」と生きる。”
を実践して積み重ねてきた。

そんな彼だから出来た路みちであろうか? 

教えられた。 
「 どう、生きる。」

が、・・・、
俺に、できるのか? 

****************************************
                                                
〜つづく〜
関連記事
  1. 2015/10/07(水) 13:45:47|
  2. 押入れ
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0
<<あ-との祭り | ホーム | お知らせ/スタジオドム>>

コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

トラックバック URL
http://wbky.blog.fc2.com/tb.php/1076-f7e9b147
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

Greeting

k.yamazaki

Author:k.yamazaki

Menu

Welcome (1)
あ-との祭り (875)
社会の窓 (68)
彼奴&彼処 (40)
Elvin Jones (38)
モノホン (46)
映写室 (39)
想い出ぼろぼろ (83)
押入れ (32)
週刊C調 (40)
鰯亭 (64)
Jazzの細道 (2)
緊急!連絡帳 (5)

最新記事

リンク

このブログをリンクに追加する

郵便ポスト

空き室

貸間

現在の閲覧者数:

最新トラックバック

検索フォーム

RSSリンクの表示

QRコード

QR

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる